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フリーランス漫画家の裏日記

とあるアイドル好きの漫画家の日記とちょっとしたぼやき。

自分におくる言葉

本日は完全に自分のための日記です。

 

 

 

twitterを見ていると、たまにとても心に元気のなくなる自分を感じる。
自分より後に世に出た子たちの成功談、
血のにじむような思いで辿り着いた自分のジャンルを豊富な予算と実績で簡単に飯の種にできる人、
心を許していた人からの暗黙の作品dis、
誰かを傷つけたい他人が際立って失礼ではないけれど地味に心を削っていくツイート、
それなりに努力はしているけどいくら経ってもうまくならない自分の実力、
姿の見えない自分の読者を信じている自分の滑稽さ、
誰に期待されているわけでもない製作物たち、
ままならない数字と実績と生活、
孤独な事務所の片隅で、誰と会う予定もない自分。


前提として、それはすべて自分で選んだ道であって、他人に押し付けられたり強制されたわけではない。twitterSNSだって、辞めようと思えばいつだって簡単に辞められる。辞めずに現状維持しているのは自分の自由意思で、そう選択をしているからだ。
それでも、被害者意識の一歩手前の「こんなはずじゃなかった」という気持ちに苦しめられる時がある。そんなことを思いたいわけではないのに。

 

そしてふと、昔みた映画「アイアムサム」を思い出す。
弁護士のリタが、知的障害のある主人公のサムに、

「君は生まれつき優秀で僕はどうだ。君は完璧さ。君にはわからない。心に受けた傷の痛みを。君には感情が無い。心が冷たくて何も感じないんだ。」

と言われ、

「自分だけ苦しんでいるとでも?私はいつも道に迷い劣等感にさいなまれてる人間よ。クズだと。私の様な人間の夫は私よりずっと完璧な女と浮気をしているのよ。息子にも毛嫌いされてる人間だわ。私だけダメなの。どんなに頑張っても。」

と泣きながら返すシーン。月並みだけど、私はこのシーンを初めて見たとき、自分だけダメなんだと思う劣等感は多くの人が抱えている感情で、それは他人と共感できるものなんだ。私だけじゃなかったんだ。というあたりまえのことに気づかされて、それからもし劣等感にさいなまれて落ち込んでも、この映画のセリフを思い出そうと決めていたことを、今になって思い出した。

アイアムサムは、障害をもった主人公のサムが、周囲から無理だと言われながらも誠実な愛情で娘のルーシーを育てる映画だ。思春期にこの映画を見た私はとても心打たれるものがあったが、言語化しようと思ったことはなかった。
今になって考えてみれば、私の好きな海外ドラマや映画の傾向は、とても似ている気がする。ガタカ、エレメンタリー、ビッグバンセオリー、どれも「あたりまえ」の世界の中で、偏った自分を貫き通すキャラクターが魅力的に描かれている物語だ。
私は偏った自分が世の中に生きていることに理由が欲しくて、フィクションの世界に元気をもらっているのだと思う。

 

私はこれからも自分の中の劣等感とダウナーな側面に悩まされ続けるのだと思う。
でもそれは偏った自分の性質のひとつであって、見ないふりをしてもなくならない。
自分はそういう性質を持った人間だと受け入れる事が大事で、必ずしも悪いことだけではないと信じていたほうが、生産的だ。

自分の生活を豊かにするはずのSNSを見て、周りと自分を比べても仕方がない。
これから自分が何をするかだけが、未来に可能性を残すことだと信じるべきだ。
誰かが自分を評価してくれるかに期待せず、自分で自分を評価できるかを基準にしたい。
自分を受け入れて、自分のことに集中するのは難しいけど、
今まで見てきた素敵な作品の中に今の自分を救う何かがあるから、
立ち止まった時はまた思い出すと良いと思う。
と、また落ち込むであろう未来の自分に対して、この文章を残しておく。

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